京都と湯葉には深い関わりがあります。
その関わりの深さは世間でも認められているほど。「平成13年度京ブランド消費者ニーズ調査」によると、「京都らしいと思うもの」として「豆腐・湯葉」と答えた人は、「寺院」、「舞妓」に続いて第3位となりました。
京都は、長い歴史の中でどのように湯葉文化を発展させてきたのでしょうか。
こちらの記事では、湯葉の発祥地を探り、湯葉にまつわる京都の歴史や文化的背景を辿っていきます。ぜひ最後までおつきあいください。
参考:横倉幸司著「京とうふにおける京都ブランドの確立」、京都府豆腐油揚商工組合、2003、p37
湯葉の発祥地はどこと言われているのか
湯葉の発祥地は中国とされています。唐代(618~907年)の中期頃には、豆腐とともに副産物として湯葉も作られたといわれています。
発祥地とされる中国では、湯葉は「豆腐皮」と呼ばれています。
日本における湯葉の発祥地はどこでしょうか。
湯葉の発祥に関しては、諸説があります。諸説あれど、中国から僧侶によって仏教とともに湯葉が伝わったという点は間違いないようです。
いくつかの説を紹介します。
- 今から約800年前の鎌倉時代後期に、中国から禅僧により、禅や喫茶とともに湯葉が日本にもたらされた
- 今から約750年前、日蓮聖人が身延山に入山したとき、弟子たちが師の体を気遣い消化吸収の良い栄養源として湯葉を作った
- 今から約1200年前の奈良時代末期に、唐の僧侶の鑑真が日本に持ち込んだ
参考:一般社団法人農山漁村文化協会編「地域食材大百科」第9巻 豆乳 豆腐 湯葉 乾物 乾燥野菜 果物 ふりかけ、2013、p114
- 今から約1200年前、遣唐使として中国に渡った僧侶の最澄が帰国した際に、仏教と茶とともに持ち帰った
最後の説に立つと、帰国した最澄が806年に比叡山麓に開いたのが、天台宗の総本山にあたる延暦寺であり、湯葉の発祥地は延暦寺ということになるでしょう。
延暦寺は、多くの人材が集まり修行を積む場所でした。
僧侶の修行中の食事は、生き物の殺生を避けた精進料理。精進料理は肉や魚などの動物性食材が使用できないため、大豆食品やごまが貴重なたんぱく質源となります。大豆食品のひとつである湯葉もいろいろな工夫をして取り入れられました。
比叡山麓には、「山の坊さん 何食うて暮らす ゆばのつけ焼き 定心坊」という童歌が残っています。定心坊とは、お漬物のこと。修行僧たちは、湯葉やお漬物を食べていたことが歌からもわかりますね。
参考:八木幸子著「比叡ゆばから始まるおいしい話」、西日本出版社、2005、p118
このような経緯から、比叡山麓で精進料理とともに湯葉は広まったと考えられています。
【解説】京都の湯葉歴史
一説で発祥地と考えられている比叡山は、滋賀県と京都府にまたがる県境に位置します。
京都が湯葉とゆかりが深いことも納得ですよね。
湯葉が京都で広まった背景
湯葉が京都で取り入れられ広まっていった理由として以下があります。
- 京都には寺院が多く精進料理の需要があったことから、精進料理に欠かせない大豆食品である湯葉が取り入れられ広がっていった
- 京都の地形と気候から、京都では京都特有の食文化が発展した。海に遠いことから水産物の保存技術や調理法が発展し、豊富な地下水に恵まれていたことから、水資源を十分に必要とする湯葉も、京野菜や豆腐、伏見の酒と同様に広まった
- 中国から取り入れられた禅宗の影響から、京都では茶の湯とともに懐石料理が発展した。懐石料理の中でも湯葉はよく利用された
参考:京都府|京都と水
ちなみに、「精進料理」「懐石料理」「京料理」などの料理の特徴を簡単にまとめると次のようになります。素材を活かすよう、薄い味付けで仕上げた料理という点で共通しています。
- 精進料理
-
宗教上、殺生が禁止された寺院社会で発達した肉や魚を使わない料理。
- 懐石料理
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禅宗を起源とし、茶の湯とともに発展した料理。茶事の席で提供され、お茶をおいしく味わうことを目的とする。
- 京料理
-
京野菜などの食材や出汁を使い、素材を活かし伝統的な調理法で作られた料理。精進料理や懐石料理も含めて京料理という。
このような背景をもち、湯葉は京都の地で育まれてきたのです。京都に老舗の湯葉屋が多くあるのは、このような理由があるのですね。
京都以外で湯葉が広まった地
ちなみに、京都以外で湯葉が広がった地は、京都に近い近江(滋賀県)や大和(奈良県)、日光(栃木県)、身延(山梨県)など。いずれも、寺院が多く古くから門前町としての役割を果たした地で、湯葉は発展してきたという特徴があります。
京都や大和、身延では、ゆばは「湯葉」と漢字で表記するのに対して、日光では「湯波」と書きます。
表記だけでなく、湯葉の作り方も京都と日光では異なります。京都の湯葉は、豆乳を加熱してできた膜の端に串を入れてひきあげます。日光は、膜の中央部に串を入れてひきあげる方法。そのため、京都の湯葉は1枚もので薄く繊細であり、日光の湯葉は2枚もので厚みと食べ応えがあるという特徴があります。
各地で特有の湯葉文化が発展したことがわかりますね。
京都の暮らしへ浸透する湯葉
長い歴史をたどり京都に定着した湯葉。京都の湯葉をたたえる声は、文化人からも見られます。
江戸時代後期の作家の滝沢馬琴は、京で味のよいものは「麩、湯葉、芋、水菜、うどん」と言ったとのこと。
京都のおいしいものとして、精進料理や京都の水資源と関連性の高い食品が挙げられていますね。
とはいうものの、庶民の料理に湯葉はなかなか取り入れられなかったようです。18世紀の料理を記載した文献「豆腐百珍」(1782年)や「豆華集」(1784年)にも、湯葉料理は少々出てくる程度。江戸時代の庶民の資料の中にも、豆腐料理の記載は多いものの、湯葉に関してはわずかな記載のみ。
湯葉はまだまだ高級品・贅沢品の部類で、一般家庭には十分に普及していなかったということですね。
参考:一般社団法人農山漁村文化協会編「地域食材大百科」第9巻 豆乳 豆腐 湯葉ほか、2013、p118
湯葉の普及が広まらなかった理由としていわれているのが、以下のふたつです。
- 湯葉の製造には広い敷地が必要だった
- 製造に手間ひまがかかるため、生産量に限界があった
湯葉の製造には、敷地の確保と丁寧な工程が必要なため製造量が少なく、庶民には高級品の域を超えなかったようですね。
湯葉が一般層にも広まったのは、戦後。京都の地に身近な食材であった湯葉は、戦後、一般家庭の暮らしにも自然と取り入れられてきました。特に、保存性の高い乾燥湯葉がよく利用されてきました。
流通システムの整った近年は、汲み上げ湯葉など生湯葉の人気が高くなりましたが、さまざまな形で料理に利用できる乾燥湯葉の人気はいまだ高いものです。
とはいえ、今でも、湯葉の製造は手作業による手間暇のかかるもので、他の大豆食品である豆腐などに比べると価格が高い食品です。
参考:「ヘルシーKYOTO 京都で食べよう『京とうふ 京ゆば 京みそ』」京都新聞出版センター、2002、p29
湯葉の発祥地についてまとめ
湯葉の発祥地がどこかについては諸説がありましたが、湯葉が京都に根付いた主な理由は次の通りでしたね。
- 湯葉発祥の地といわれる比叡山麓が近い
- 中国と僧侶の往来が頻繁に行われており、中国の文化がよく取り入れられた
- 寺院が多く精進料理の需要が高く、湯葉が必要とされた
- 茶道も盛んで、茶の席で用意される懐石料理でも湯葉が使用された
- 京都の豊かな水資源から湯葉が作られた
さまざまな歴史的・文化的背景や地理的要因により、京都が湯葉と非常にゆかりが深い地になったということがわかりました。
これからも湯葉は京都の誇れる食材として発展していくことでしょう。